くずblog

88年生まれ。鬱病と仲良く生きているくずのブログです。ブラックSE→傷病手当→ナマポ→雑用係として社会復帰。

先生という仕事をやって鬱になった話

僕が鬱になったきっかけは、予備校講師の仕事をしてたときのことだ。

俺の担当は一番偏差値の低い問題児クラスだった。

チャラチャラしたやつや、オタクみたいなやつ、とにかく底辺をかき集めたみたいな教室だった。誰も担当したがらない、最低のクラス。

 

「センセー、うんこしてきていいっすか?」ゲラゲラ。みたいな、そんな連中だった。

俺はテキトーにそいつらのノリに合わせて「ちゃんと流すんだぞ」とか言いつつ、やるべき授業をただひたすらやっていた。

 

授業を聞くやつもいるし、寝てるやつもいるし、悩んでるやつもいるし、何考えてるのかわからないやつもいるけど、気にしない。

俺はただ、自分の生活のために先生ごっこをやるだけだ。

 

だがそんなあるとき、事件は起こった(事件はしょっちゅう起こる)。

チャラ男Aが、テストに一文字も書かなかったのだ。本人に問い詰めても、「だってわかんねーんだもん」の一点張り。

「でも名前くらい書けるだろ、なんかあんならちゃんと言えよ」

俺としては、Aの本当の思いを聞き出してやって、金八先生的に問題を解決してやりたかったんだ。

 

でもAは何も言わない。

次のテストも白紙だった。そこで俺はキレちまった。

 

机をバン!テメーふざけんじゃねえよ!やる気ねえなら来るなよ!言いたいことあんならハッキリ言え!!

 

Aは泣いた。

 

授業は中断し、Aから色々と話を聞いた。彼は最後までハッキリ言わなかったけど、家庭になんらかの問題があるっぽいことはわかった。

 

まー、こんなのはよくあることなんだ。いいんだよ。問題はこの先だ。

 

次の日、保護者が5,6人で塾に押しかけたのだ。

「くず先生が暴力を振るったんですって!!まー!!どういうことですか!!??」

 

やっちまった。他の生徒から見りゃ、俺がAを泣かせた構図だったんだ。

生徒のひとりが家でポロッとそのことを話し、あっという間に炎上。

 

校長は俺とAの件を理解していたから、なんとかうまく俺を守ってくれた。

でもAの家庭の事情のこととかを他の保護者に説明するわけにもいかず、全面的に非を認め謝罪するほかなかった。

 

当時まだ10代の俺は、かなりまいってしまった。

 

ロジックはわかるよ。俺は授業中に机を叩いたよ。泣かせたよ。でも、いろいろとあったんだよ、なのに、なんで?俺はまじめに授業やってんじゃん、なぁ?だいたい、テメーらババアどもがちゃんと教育しねーからこんな問題ばっか起こるんだろう?

 

俺の悪評はあっという間に広がって、校長の指示で、俺は保護者会とか三者面談に顔を出せなくなった。クラス月報とか保護者への手紙関係も怖くて仕方なかった。

 

で、ある日、授業中にクラッときて吐いてしまった。いや、ちゃんとトイレで吐いたんだけどさ、しばらくはトイレから出れないし、ぐるぐるして立てないし、ちょっとした騒ぎになってしまった。

 

俺は早退して、そのまま総合病院に行く。医者は紹介状を書いてくれたんだけど、そこには「精神科」と書かれていた。まじか。

でも知ってた。机叩いた瞬間に気づいてた。俺はどっかがおかしいって。

立てなくなったとき、立てないというか、もう立ちたくねえんだよって感じだったし。

 

その後すぐに鬱の診断が下され、なんなら入院するかと言われた。金ねえよ。

でもまさか、10代最後の痛手が、26になった今にも続いてくなんて、想像もしてなかった。