恋をしたら鬱が消えた話(前半)
先生をやりながら鬱ってのはキツかった。塾講師のバイトだけどね。
でも恋をしたら何かが変わった。
その頃の俺は仕事に行く前には必ず頓服の精神安定剤を飲んだ。飲まなきゃ全身がガクガク震えて仕方ない。
調子が悪いときには、インターホンの「ピンポーン」が鳴るだけで薬にすがりついていたくらいだ。
んで、薬を飲むとシャッキリするような、ふわふわするような、きっとマトモじゃなかったんだと思うけど、とりあえず仕事はできた。
人間関係はほぼなかったし、大学にも行かなかったけど、とりあえずバイトをすることで金を得て、最低限の社会性をキープできた。
何度も言いたいんだけど、鬱は働いたほうがいい。社会と断絶しちゃダメだ。
そんな感じで大学1年生が終わった。春休みには塾が忙しくなる。気候がいい感じで、ほどほどの負荷があって、俺は今度は躁に突入。
躁は病気だけど、鬱よりはいいと思う。でも俺はそのせいで毎日酒と煙草にやられ、夜道をさまよい、しょっちゅうオマワリさんの世話になる羽目になった。
鬱、躁、ああ、困ったもんだ。最悪の大学生活。くずだ。
そんなとき、少しずつ話すようになったのがフランス語のクラスで隣の席に座ってた女の子だ。
彼女も何かをこじらせているらしかった。女子大生なんてみんなそんなもんだよね。
田舎を離れ、薄っぺらい人間関係に嫌気がさし、大学の授業がつまらなくて、「あたし何やってんだろう」的な感じになってるらしかった。
で、春休みだってのに彼女はいつも図書館にいて、いつも挨拶してくるから自然と「コーヒーでもどうだい」みたいな仲になる。
コーヒーを片手に、スカスカのキャンパスを歩いたり、近所の公園に行ったり、近所のあらゆるベンチを制覇したんじゃないかな。
彼女といると、自然と躁がおさまる。
落ち着いて彼女の話しを聞き、励ましてやれる。男らしくなれる。
夜になると彼女に会いたくなる。ウィスキーで睡眠薬をガンガン飲んで、無理やり眠ろうとしても心が落ち着かなくて、あの子といるときの平穏が恋しくなる。
でも俺は躊躇した。だって俺は病人。嫌でしょ?
一方で、彼女はけっこう評判のいい子、少なくともフラ語の履修生の中では一番の美人と言われている。インカレで出会った慶應医学部の男とどーのこーのとか聞いたし、まー、要は高嶺の花だ。
だから俺は、夜は一人躁鬱と戦い、昼間に癒してもらえればいい。十分。そう思ってた。その後もちょこちょこ、図書館で会っていた。でも授業のときとかに話すことはあんまりなかった。
あるとき、春の嵐がきた。梅雨だったか。覚えてないけど。雨がじゃぶじゃぶ。
日曜の図書館で途方に暮れているときに、ゲートのとこで彼女に遭遇する。
長靴を履いていて可愛い。
「図書館閉鎖だって。帰れる?」と聞かれる。うーん。チャリで10分ちょっとなんだけどキツイかな?
「じゃ、ウチ来なよ。コーヒーいれてあげる」
彼女の家が近いというのでお暇する。
小休止
先生という仕事をやって鬱になった話
僕が鬱になったきっかけは、予備校講師の仕事をしてたときのことだ。
俺の担当は一番偏差値の低い問題児クラスだった。
チャラチャラしたやつや、オタクみたいなやつ、とにかく底辺をかき集めたみたいな教室だった。誰も担当したがらない、最低のクラス。
「センセー、うんこしてきていいっすか?」ゲラゲラ。みたいな、そんな連中だった。
俺はテキトーにそいつらのノリに合わせて「ちゃんと流すんだぞ」とか言いつつ、やるべき授業をただひたすらやっていた。
授業を聞くやつもいるし、寝てるやつもいるし、悩んでるやつもいるし、何考えてるのかわからないやつもいるけど、気にしない。
俺はただ、自分の生活のために先生ごっこをやるだけだ。
だがそんなあるとき、事件は起こった(事件はしょっちゅう起こる)。
チャラ男Aが、テストに一文字も書かなかったのだ。本人に問い詰めても、「だってわかんねーんだもん」の一点張り。
「でも名前くらい書けるだろ、なんかあんならちゃんと言えよ」
俺としては、Aの本当の思いを聞き出してやって、金八先生的に問題を解決してやりたかったんだ。
でもAは何も言わない。
次のテストも白紙だった。そこで俺はキレちまった。
机をバン!テメーふざけんじゃねえよ!やる気ねえなら来るなよ!言いたいことあんならハッキリ言え!!
Aは泣いた。
授業は中断し、Aから色々と話を聞いた。彼は最後までハッキリ言わなかったけど、家庭になんらかの問題があるっぽいことはわかった。
まー、こんなのはよくあることなんだ。いいんだよ。問題はこの先だ。
次の日、保護者が5,6人で塾に押しかけたのだ。
「くず先生が暴力を振るったんですって!!まー!!どういうことですか!!??」
やっちまった。他の生徒から見りゃ、俺がAを泣かせた構図だったんだ。
生徒のひとりが家でポロッとそのことを話し、あっという間に炎上。
校長は俺とAの件を理解していたから、なんとかうまく俺を守ってくれた。
でもAの家庭の事情のこととかを他の保護者に説明するわけにもいかず、全面的に非を認め謝罪するほかなかった。
当時まだ10代の俺は、かなりまいってしまった。
ロジックはわかるよ。俺は授業中に机を叩いたよ。泣かせたよ。でも、いろいろとあったんだよ、なのに、なんで?俺はまじめに授業やってんじゃん、なぁ?だいたい、テメーらババアどもがちゃんと教育しねーからこんな問題ばっか起こるんだろう?
俺の悪評はあっという間に広がって、校長の指示で、俺は保護者会とか三者面談に顔を出せなくなった。クラス月報とか保護者への手紙関係も怖くて仕方なかった。
で、ある日、授業中にクラッときて吐いてしまった。いや、ちゃんとトイレで吐いたんだけどさ、しばらくはトイレから出れないし、ぐるぐるして立てないし、ちょっとした騒ぎになってしまった。
俺は早退して、そのまま総合病院に行く。医者は紹介状を書いてくれたんだけど、そこには「精神科」と書かれていた。まじか。
でも知ってた。机叩いた瞬間に気づいてた。俺はどっかがおかしいって。
立てなくなったとき、立てないというか、もう立ちたくねえんだよって感じだったし。
その後すぐに鬱の診断が下され、なんなら入院するかと言われた。金ねえよ。
でもまさか、10代最後の痛手が、26になった今にも続いてくなんて、想像もしてなかった。
生活保護受給者だった去年の今頃
薬局で鬱病の薬をもらって、コートを羽織って商店街を歩いてた。
季節の変わり目に、なんとなく去年の自分を思い出して染み染みしてアラサーだな俺、って思う。
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さよなら親友
確か、去年の今頃は、家賃が払えずに友達から金を借りて、そのせいで友達が友達じゃなくなってしまった頃だ。
5万円くらい大したことないと思っていたけど、当時の収入は生活保護の11万円くらいで、税金やら何やらを引いたらほとんど手元に残らなかった。
だから借金はずっと返せなくて、でもなんとかしなくちゃいけなくて、でもどうにもなるわけないんだただの生活保護受給者なんだから。
ちゃんと金は返したけど、もう厄介なことには巻き込めないし連絡は取りづらいなぁ。
生活保護は苦しみのループを生む
俺は生活保護のおかげで生きれた。でもイケてる制度だとは思えないな。
こーゆー図式にハマっちゃうから危ない。
鬱になる→仕事を休めと言われる→有給がないから退職して社会福祉制度を活用しろと言われる→なまぽ→金が少しずつなくなる→鬱になる
鬱はループする。ぐるぐるぐるぐる。
生活保護ってのはただの延命装置で、しかも新しい鬱を生んでしまう危険性が高い。
俺は見事にハマって、通帳を見たり将来のことを考える度に鬱を加速させ、こりゃ死ぬしかないなと思ってたくらいだ。
ホント、去年の今頃は地獄だった。
毎日何もせずに金は入ったけどさ、俺は苦しみの連鎖から脱出できなかったんだ。
働け!
結局、手元に残ったのは督促状の山だった。一ヶ月後に生活保護が振り込まれても、一瞬で口座から消えちまう(しかも利息つきで)。
もちろん、世界の貧民よりは遥かにいい暮らしはしていた。水は飲めるし、ケータイもあるし、その気になれば牛丼も食える。
でも不幸ってのは人それぞれだ。
もうダメだ、夜逃げする金もない、死ぬしかない。
そんなとき、中学の友達から電話があった。
「お前、VBA使える?」
すごく簡単なExcel作業をしただけで、5万もらえた(彼のポケットマネーだ)。
その後も何度も呼ばれて仕事をした。
会社なんて行きたくないとか考える余裕もなかった。それは、生きるという行為だった。
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帰り道に靴流通センターで靴を買う。靴のことは詳しくないけど、好きだ。
新しい靴を履くと一歩踏み出す勇気がもらえる気がするんだ!